関西合同三田会2024 南紀白浜大会に参加してきました
2024年11月9日土曜日
関西合同三田会南紀白浜大会に参加してきました。
当日は晴天に恵まれ、会場のホテルシーモアのすぐ近くにある
名勝「三段壁」「千畳敷」も綺麗に見学する事が出来ました。
式典では伊藤公平塾長のビデオメッセージを拝見し、
その後、国際熊野学会代表委員・熊野三山協議会幹事 山本殖生先生による
「世界遺産登録20周年 熊野古道の魅力」の特別講演を拝聴し、皆さん
和歌山県南部の壮大な魅力に取りつかれたご様子でした。
式典終了後は奈良三田会参加メンバーで記念撮影
お楽しみの懇親会ではおいしいお料理に舌鼓をならしました。
懇親会では地元サックスプレイヤーの岡なづきさんによる演奏に盛り上がり
最後は全員で「若き血」を合唱して幕を閉じました。
エクスカーションは南紀白浜アドベンチャーワールド、皆さん、ペンライトを
片手によるのジャングルを楽しんでおられたそうです。
2026年の関西合同三田会は「京都」(ホテルオークラ)にて開催されます
開催日は2025年11月16日(日)です。会員の皆様はご予定の程よろしく
お願いいたします。
最後は白浜の温泉で足湯を堪能、「メチャクチャ気持ちよいぞ!」と
奈良三田会のF先輩のコメントでした~。
文責:村島靖基(奈良三田会副幹事長)
2024年秋の奈良巡りの会を開催しました
第10回奈良巡りの会「聖林寺・安倍文殊院界隈の散策」を開催
(2024.11.2 開催実施記録:昭和41年経済 服部永次)
記念すべき第10回は、雨模様と3連休が重なり、参加人数は13人となりました。
桜井駅を9時40分頃出発するころから、ポツポツ降り出し、「恨めしや・・・」。
しかしながら、ここは名幹事平越様の先見の明で、ご夫妻が運転手となった自家用車が登場し、難なく散策がスタート。
散策からドライブに変更となりましたが、お陰様で助かりました。
先ずは、
- 艸墓古墳(くさはかこふん)
安陪文殊院の直ぐ近く桜井市谷の住宅街の中、こんもりとした小さな古墳で、辿り着くまでに雨で濡れた坂道や民家横の狭い道に往生しました。
埋葬施設は花崗岩の10メート余りの横穴式で、何処から入れたのかと不思議に思うくらい、石室内一杯にドカンと石棺が占めている。一見盗掘されていないように見えるが、奥壁側に盗掘穴があり、スマホの明かりで覗くと石棺内部も拝見できました。古墳内の石棺に触れる事ができる事はめったにないチャンスだと思います。この艸墓古墳は、古墳時代終末期の7世紀中葉頃の築造と推定されていますが、どなたが葬られていたのか・・・・?
- 安部文殊院
5年前に新築されたという「客殿」にて植田住職の法話と抹茶・落雁を頂戴しました。大化元年(645)に創建され、且つては野村萬斎主演の映画「陰陽師」で、最近はNHK大河「光る君」でユースケ・サンタマリアが演じた陰陽師の安倍晴明公が出生された寺院とされている。現在は祈祷寺として華厳宗東大寺の別格本山であり、広さ3万坪を誇っています。
本堂に移動して、ご住職からご説明をお聞きしました。
- 御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」の格言で有名な文殊菩薩で、日本最大(7m)、鎌倉時代・1203年に仏師・快慶によって造立された。獅子に乗り4人の脇侍を伴う、渡海文殊菩薩を中心とした文殊群像は、雲海を渡り、私達衆生の魔を払い、智恵を授ける為の説法の旅に出かけているお姿ということです。
- 現在、安倍文殊院では文殊群像全体の床を免震工事するため、獅子からお降りになった文殊菩薩像を間近に拝見できるという機会となりました。
- 平安時代の陰陽師・安倍晴明の寺ということで、玄関の内側に貼ることで、一切の災難を除いてくれる赤(朱色)の魔除け札を買い求めました。家に帰ってお札を貼り、中のハガキに住所を書いて送ると、住所の魔除け祈願をして頂けるそうです。
- 聖林寺
聖林寺は桜井市街地の南方に奈良盆地を見下ろす小高い位置にある。お寺の境内に建つ「聖林茶館」から雨の三輪山や箸墓古墳などを一望できる絶景の場所で、ゆっくりと柿の葉寿司セットの昼食。ここでも記念写真を「パチリ」
伝承では和銅5年(712年)に多武峰妙楽寺(現・談山神社)の別院・遍照院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したという。平安時代末期には妙楽寺と興福寺の合戦によって興福寺に焼き討ちされているが、鎌倉時代に復興している。
江戸時代には大神神社の神宮寺の一つである三輪山平等寺の建物を移して再興したという。江戸時代中期の享保年間に聖林寺と改称。また、文春諦玄が、諸国を行脚して浄財を集めて現在の本尊・子安延命地蔵菩薩像を造立。
明治の神仏分離令の際に、大神神社(三輪明神)神宮寺の一つである大御輪寺(だいごりんじ:大神神社の最も古い神宮寺)本尊の十一面観音像が聖林寺に移管されている。
- 子安延命地蔵
色白の肌に三日月型の眉、紅が残る唇が特徴的な、大きな石造のお地蔵さまで、江戸時代中期、この寺の僧 文春が安産を願い造像したと伝わり、今のように医学の進んでいない時代にはお産で苦しむ婦人が多かったのでしょう。文春は大石仏造像の願をかけ、自身で作った木彫りの地蔵を背負って諸国行脚を行い、4年7か月かけて托鉢で浄財を集めたということです。
- 十一面観音立像
もとは三輪山の神宮寺の一つ「大御輪寺」の仏さまで本尊として、法隆寺の国宝 地蔵菩薩立像などと共に祀られてきましたが、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈を免れるため、慶応4年5月、大御輪寺と親交の深かった聖林寺に移されたといわれています。その後、明治20年フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、人々の前にその美しい姿を初めて現しました。フェノロサはその美しさに大層驚き、門前から大和盆地を指して、「この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏さま一体に到底及ぶものでない」と述べたと伝えられています。奈良時代後期につくられた木心乾漆像で、厳かな顔つきと均整のとれた体つきが特徴です。耐震工事が完了しリニューアルした観音堂で倉本住職から詳しくお話を伺うことができました。南海トラフ級の大地震にも対応できる独立の免震展示台ケースを導入し、背面までの360度参拝できるように。透明度が高いガラスでコーティングが施されているため、遠目から観るとケースが見えないようにすら感じます。住職は、ガラスケースを「ガラスのお厨子」と表現されていました。時間を忘れる一時でした。
収蔵庫の天井は、直径5.2メートルの半円球型のドーム状になっており、宇宙を表現した天蓋になったこだわりのデザインです。
- 曼荼羅(マンダラ)の世界
毎年11月に開催される『マンダラ展』を拝見することができ、曼荼羅の世界に引き込まれました。
南北朝時代の『春日鹿曼荼羅』『三千仏名会本尊』『補陀落山曼荼羅』。室町時代の『春日宮曼荼羅』『胎蔵曼荼羅』『當麻曼荼羅』『十三仏曼荼羅』。そして江戸時代の『星曼荼羅』『法華経曼荼羅』『金光明最勝王経曼荼羅』『金剛界曼荼羅』と、どれも驚く素晴らしい保存状態です。
倉本住職の丁寧なご説明付きの拝観が終わるころには、奈良県全域で台風崩れの温帯低気圧の影響で大雨・洪水警報が出て、滝のような雨に遭遇、しかし、車を用意いただいたお蔭で午後3時までには桜井駅まで無事戻ることができ、楽しい一日となりました。
ご参加いただいた皆様、お疲れさまでした。
平越ご夫妻に感謝です。
第9回奈良巡りの会「神職・文化人が住んだ高畑を散策」を開催
第9回奈良巡りの会「神職・文化人が住んだ高畑を散策」記録(開催日2024年5月25日)
奈良巡りの会も回を重ねて9回目ともなると、リピーターもさることながら、口コミによる婦人三田会のメンバーさんなど幅広い沢山の方々の参加(30名超)があり、大変賑やかな会となりました。
観光シーズンの奈良は交通渋滞で身動きが取れない記憶でしたが、奈良市西部はじめ平城宮跡(朱雀門広場)、奈良市役所に自家用駐車場を設けられ、また県庁前バスターミナルへ観光バスの誘導など、奈良公園への車渋滞を防ぐ特別な施策によりスムーズな流れの印象でした。
昨年はならまち界隈の街中(まちなか)の散策でしたが、今回は「神職・文化人が住んだ高畑を散策」をテーマに春日大社を集合場所として、”ささやきの小径”を通り、⇒志賀直哉旧居⇒不空院⇒昼食(お弁当)⇒新薬師寺と緑鮮やかな季節に自然を満喫、各所で特別の講義、説明を受け⇒現地解散後、周辺を自由散策しました。
[志賀直哉旧居]見学
北側の土塀(表門)から玄関より建物に上がり、長い廊下の突き当りは食堂とサンルームが広がっており、全員が一同に座って、先ず大原館長の説明を伺った。白樺派をはじめ多くの作家、写真家、芸術家との交友(談義、食事会など)はこの部屋で家族同様に迎えられ、高畑サロンと言われる由縁と思われます。
(大原館長の説明)
代表作品『暗夜行路』は相当長い制作期間を費やし、昭和12年(54)歳)この奈良の住まいで脱稿、翌年、東京市に移転した、との事。昭和46年(88歳)で天寿を全うするまで、無駄のない贅沢暮らしをしたと伝えられ、広大な屋敷、間取りはこの時代に、既製品ではなく、冷蔵庫やシンク(台所)、食堂ダイニングルーム、サンルーム、休憩用ソファまで”誂え”であったようです。
観察眼が鋭く作品にも滲みでているものの、「記念物を残さない」との遺言通り、実用とした愛用品は一切の展示がない、との説明に、より一層、建物の設えに興味をそそりました。
また、作品、作風にふれ、簡潔で力強い描写は、ヘミングウェイに似ているとの研究話題も披露されました。
(その後グルーブに分かれて建物、中庭など見学)
驚きは一言で表現できませんが、玄関より二階北東の部屋(来客用部屋)に上ると若草山(三笠山)と御蓋山(春日原始林)が一望できる眺望に感激。御蓋山は若草山に比べ低く、頂上が曖昧(手入れが難しい?原始林) 、今迄<これぞ御蓋山>とは中々見つけ難かったです。
※志賀直哉旧居(セミナーハウス)では奈良学園公開文化講座がほぼ毎月開催されています。
[真言律宗 南都・春日(しゅんにち)山 不空院]見学
春日山を背にする真言律宗の古刹、奈良国立博物館で開催の空海も「福井之大師」として足跡を残し、「女人救済の寺」としても知られています。
(三谷住職夫人の説明)
本尊の不空羂索観音はお身体に鹿皮の衣を纏っており、鹿皮観音とも言われ、春日大社並びに藤原氏との因縁が見て取れ、東大寺の三月堂、興福寺の南円堂、とで三不空羂索観音と言われています。戦乱や大地震により無住職の時代が続きましたが、大正時代に現在の本堂が再建され、寺域が整えられたようです。ならまち元林院芸妓の縁切、縁結のお話も印象的でした。
※ご厚意により、昼食会場のご提供を頂きました。
[華厳宗 日輪山 新薬師寺]見学
華厳宗本山、東大寺と縁が深く、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后によって春日山と高円山の麓に、新(あらたかな)薬師寺として創建されました。聖武天皇は動物植物ことごとく栄える世を目指し、廬舎那仏造立を発願され、後の東大寺創建に引き継がれます。
(中田住職の説明)
落雷や台風により多くの堂宇が焼失、倒壊、鎌倉時代に復興。
昭和59年、景清地蔵尊を修理の際、胎内から地蔵尊が発見され、玉のような地蔵さんとして先代住職が”おたま地蔵尊”との尊名を奉る。
尚、調査をした東京芸大の藪内佐斗司先生が、平城遷都1300年の折、マスコットキャラクター(せんとくん)を、顔が似ている”おたま地蔵尊”をモチーフにデザインされたらしい。
アカンサスの葉が薬師如来の光背にあり、寺庭ではアカンサスが綺麗に咲いていました。
因みに、西ノ京に薬師寺かありますが、この薬師寺は飛鳥から平城遷都で移転 したもので全く別の寺院です。
52法(政) 谷村 記
20240420 定時総会を開催いたしました。
令和6年4月20日に奈良ホテルにて定時総会を開催いたしました。
一号議案 令和5年度活動報告の件
二号議案 令和5年度会計報告並びに会計監査報告
三号議案 令和6年度活動計画の件
四号議案 令和6年度予算案の件
五号議案 役員改選の件
の全てが可決いたしました。
新会長に大浦良幸氏(S53卒)が選任されました。
総会の後
慶應義塾福澤研究センター准教授・福澤諭吉記念慶應義塾史展示館副館長 都倉武之様にり、
「歴史から考える「慶應義塾」の存在意義 ―「着流し」から Enjoy Baseball まで―」をご講演いただきました。
その後、懇親会は大変盛り上がり、親交を深めることが出来ました。
奈良三田会
事務局〒630-8445
奈良県奈良市池田町76-9 株式会社成田内
新着情報
- 2024奈良三田会ゴルフコンペ(今里杯)を開催しました。2024年11月24日 - 8:13 PM
- 関西合同三田会2024 南紀白浜大会に参加してきました2024年11月24日 - 7:57 PM
- 2024年秋の奈良巡りの会を開催しました2024年11月5日 - 9:41 AM