2024奈良三田会ゴルフコンペ(今里杯)を開催しました。

2024年11月23日(祝)奈良三田会ゴルフコンペ(今里杯)をディア・パークゴルフクラブで開催。

当日は晴天にも恵まれ、15名の参加者は懇親をはかりつつ優勝目指してプレーを楽しみました。

そして優勝は見事3連覇を成し遂げられました「岩中先輩」(50年ご卒業)でした。

岩中先輩「おめでとうございます!」、来年は4連覇ですね~。

 

2025年度も春の慶早ゴルフコンペ、秋の奈良三田会(今里杯)ゴルフコンペを開催

しますので皆様のご参加をお待ちしています。

 

文責:村島靖基(奈良三田会副幹事長)

 

関西合同三田会2024 南紀白浜大会に参加してきました

2024年11月9日土曜日

関西合同三田会南紀白浜大会に参加してきました。

当日は晴天に恵まれ、会場のホテルシーモアのすぐ近くにある

名勝「三段壁」「千畳敷」も綺麗に見学する事が出来ました。

式典では伊藤公平塾長のビデオメッセージを拝見し、

その後、国際熊野学会代表委員・熊野三山協議会幹事 山本殖生先生による

「世界遺産登録20周年 熊野古道の魅力」の特別講演を拝聴し、皆さん

和歌山県南部の壮大な魅力に取りつかれたご様子でした。

 

式典終了後は奈良三田会参加メンバーで記念撮影

お楽しみの懇親会ではおいしいお料理に舌鼓をならしました。

 

懇親会では地元サックスプレイヤーの岡なづきさんによる演奏に盛り上がり

最後は全員で「若き血」を合唱して幕を閉じました。

 

エクスカーションは南紀白浜アドベンチャーワールド、皆さん、ペンライトを

片手によるのジャングルを楽しんでおられたそうです。

 

2026年の関西合同三田会は「京都」(ホテルオークラ)にて開催されます

開催日は2025年11月16日(日)です。会員の皆様はご予定の程よろしく

お願いいたします。

 

最後は白浜の温泉で足湯を堪能、「メチャクチャ気持ちよいぞ!」と

奈良三田会のF先輩のコメントでした~。

 

文責:村島靖基(奈良三田会副幹事長)

 

 

2024年秋の奈良巡りの会を開催しました

第10回奈良巡りの会「聖林寺・安倍文殊院界隈の散策」を開催

(2024.11.2 開催実施記録:昭和41年経済 服部永次)

 

記念すべき第10回は、雨模様と3連休が重なり、参加人数は13人となりました。

桜井駅を9時40分頃出発するころから、ポツポツ降り出し、「恨めしや・・・」。

しかしながら、ここは名幹事平越様の先見の明で、ご夫妻が運転手となった自家用車が登場し、難なく散策がスタート。

散策からドライブに変更となりましたが、お陰様で助かりました。

 

先ずは、

  • 艸墓古墳(くさはかこふん)

安陪文殊院の直ぐ近く桜井市谷の住宅街の中、こんもりとした小さな古墳で、辿り着くまでに雨で濡れた坂道や民家横の狭い道に往生しました。

埋葬施設は花崗岩の10メート余りの横穴式で、何処から入れたのかと不思議に思うくらい、石室内一杯にドカンと石棺が占めている。一見盗掘されていないように見えるが、奥壁側に盗掘穴があり、スマホの明かりで覗くと石棺内部も拝見できました。古墳内の石棺に触れる事ができる事はめったにないチャンスだと思います。この艸墓古墳は、古墳時代終末期の7世紀中葉頃の築造と推定されていますが、どなたが葬られていたのか・・・・?

 

 

  • 安部文殊院

5年前に新築されたという「客殿」にて植田住職の法話と抹茶・落雁を頂戴しました。大化元年(645)に創建され、且つては野村萬斎主演の映画「陰陽師」で、最近はNHK大河「光る君」でユースケ・サンタマリアが演じた陰陽師の安倍晴明公が出生された寺院とされている。現在は祈祷寺として華厳宗東大寺の別格本山であり、広さ3万坪を誇っています。

本堂に移動して、ご住職からご説明をお聞きしました。

  1. 御本尊は「三人寄れば文殊の智恵」の格言で有名な文殊菩薩で、日本最大(7m)、鎌倉時代・1203年に仏師・快慶によって造立された。獅子に乗り4人の脇侍を伴う、渡海文殊菩薩を中心とした文殊群像は、雲海を渡り、私達衆生の魔を払い、智恵を授ける為の説法の旅に出かけているお姿ということです。
  2. 現在、安倍文殊院では文殊群像全体の床を免震工事するため、獅子からお降りになった文殊菩薩像を間近に拝見できるという機会となりました。
  • 平安時代の陰陽師・安倍晴明の寺ということで、玄関の内側に貼ることで、一切の災難を除いてくれる赤(朱色)の魔除け札を買い求めました。家に帰ってお札を貼り、中のハガキに住所を書いて送ると、住所の魔除け祈願をして頂けるそうです。
  1. 雨の合間を縫って、全員での記念写真を「パチリ」

 

  • 聖林寺

聖林寺は桜井市街地の南方に奈良盆地を見下ろす小高い位置にある。お寺の境内に建つ「聖林茶館」から雨の三輪山や箸墓古墳などを一望できる絶景の場所で、ゆっくりと柿の葉寿司セットの昼食。ここでも記念写真を「パチリ」

 

 

伝承では和銅5年(712年)に多武峰妙楽寺(現・談山神社)の別院・遍照院として藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したという。平安時代末期には妙楽寺と興福寺の合戦によって興福寺に焼き討ちされているが、鎌倉時代に復興している。

江戸時代には大神神社の神宮寺の一つである三輪山平等寺の建物を移して再興したという。江戸時代中期の享保年間に聖林寺と改称。また、文春諦玄が、諸国を行脚して浄財を集めて現在の本尊・子安延命地蔵菩薩像を造立。

明治の神仏分離令の際に、大神神社(三輪明神)神宮寺の一つである大御輪寺(だいごりんじ:大神神社の最も古い神宮寺)本尊の十一面観音像が聖林寺に移管されている。

  1. 子安延命地蔵

色白の肌に三日月型の眉、紅が残る唇が特徴的な、大きな石造のお地蔵さまで、江戸時代中期、この寺の僧 文春が安産を願い造像したと伝わり、今のように医学の進んでいない時代にはお産で苦しむ婦人が多かったのでしょう。文春は大石仏造像の願をかけ、自身で作った木彫りの地蔵を背負って諸国行脚を行い、4年7か月かけて托鉢で浄財を集めたということです。

  1. 十一面観音立像

もとは三輪山の神宮寺の一つ「大御輪寺」の仏さまで本尊として、法隆寺の国宝 地蔵菩薩立像などと共に祀られてきましたが、明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈を免れるため、慶応4年5月、大御輪寺と親交の深かった聖林寺に移されたといわれています。その後、明治20年フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、人々の前にその美しい姿を初めて現しました。フェノロサはその美しさに大層驚き、門前から大和盆地を指して、「この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏さま一体に到底及ぶものでない」と述べたと伝えられています。奈良時代後期につくられた木心乾漆像で、厳かな顔つきと均整のとれた体つきが特徴です。耐震工事が完了しリニューアルした観音堂で倉本住職から詳しくお話を伺うことができました。南海トラフ級の大地震にも対応できる独立の免震展示台ケースを導入し、背面までの360度参拝できるように。透明度が高いガラスでコーティングが施されているため、遠目から観るとケースが見えないようにすら感じます。住職は、ガラスケースを「ガラスのお厨子」と表現されていました。時間を忘れる一時でした。

 

収蔵庫の天井は、直径5.2メートルの半円球型のドーム状になっており、宇宙を表現した天蓋になったこだわりのデザインです。

  • 曼荼羅(マンダラ)の世界

毎年11月に開催される『マンダラ展』を拝見することができ、曼荼羅の世界に引き込まれました。

南北朝時代の『春日鹿曼荼羅』『三千仏名会本尊』『補陀落山曼荼羅』。室町時代の『春日宮曼荼羅』『胎蔵曼荼羅』『當麻曼荼羅』『十三仏曼荼羅』。そして江戸時代の『星曼荼羅』『法華経曼荼羅』『金光明最勝王経曼荼羅』『金剛界曼荼羅』と、どれも驚く素晴らしい保存状態です。

 

倉本住職の丁寧なご説明付きの拝観が終わるころには、奈良県全域で台風崩れの温帯低気圧の影響で大雨・洪水警報が出て、滝のような雨に遭遇、しかし、車を用意いただいたお蔭で午後3時までには桜井駅まで無事戻ることができ、楽しい一日となりました。

ご参加いただいた皆様、お疲れさまでした。

平越ご夫妻に感謝です。